三代目 J SOUL BROTHERSの一員で、ダンスだけではなく俳優としても大活躍の岩田剛典さん。
そんな岩田剛典さんの父親は、有名靴ブランドの社長だったと知っていましたか?
今回は、岩田剛典さんの父親の経歴や、経営している会社について、迫っていきたいと思います。
最後までお付き合い、よろしくお願いします。
岩田剛典さんの父は有名靴ブランドの社長だった!
岩田剛典さんの父は、有名靴ブランドの社長というのは本当なのでしょうか?
岩田さんの父は、有名靴ブランド「マドラス株式会社」の社長、岩田達七さんです。
岩田剛典さんは達七さんの次男坊であり、マドラスの新ブランド「NERD MIND(ナードマインド)」のクリエイティブディレクターに就任しています。
岩田剛典さんの父の経歴
岩田剛典さんの父の経歴は、どのようになっているでしょうか?
岩田さんの父である岩田達七さんの経歴は、以下の通りです。
- 1950年、愛知県に生まれる。
- 慶應義塾大学経済学部卒業後、1973年にマドラス(旧亜細亜製靴株式会社)入社
- 1980年、取締役就任
- 1984年、代表取締役就任
いろいろ調べましたが、達七さんに関する詳しい情報はありませんでした。
ただ、岩田剛典さん、父の達七さん、祖父の孝七さんの3人は、みんな慶応大学の出身でした。
岩田剛典さんの父の会社概要
岩田剛典さんの父の会社であるマドラス株式会社は、どのような会社なのでしょうか?
マドラス株式会社は、草履や下駄が普通に使われていた大正時代に、紳士靴の量産を始め、日本の靴業界をリードしてきた会社です。
現在マドラスの店舗数は、全国に直営店が11店舗、アウトレットが22店舗、海外に2店舗、リペア専門の店も1店舗となっています。
マドラスの歴史を見てみると、創業者の岩田武七さんは、酒造業を営んでいた岩田家の次男でした。
岩田家は豊かな暮らしをしていましたが、武七さんは次男だったので家を継ぐことなく独立を目指し、1973年(明治6年)に屋号「中島屋岩田武七」を開業し、陸軍に皮革製品などを販売販売していました。
二代目岩田武七さんは1921年(大正10年)に、草履や下駄の時代から靴の時代が来ると予想し、亜細亜製靴株式会社を創業し、民間用の紳士靴の量産を開始します。
1965年(昭和40年)、イタリア最大の靴メーカー「バレンチノ・マドラス社」と業務提携し、マドラスの靴が日本全国の百貨店・専門店にて取り扱われるようになりました。
1983年(昭和58年)マドラス株式会社に社名を変更します。
マドラスは、創業100年以上の老舗シューズメーカーとしての信頼と実績があり、イタリアの靴づくりの伝統を受け継ぎ、快適な履き心地と美しいデザインを追求し続けている会社です。
靴のケアやリペアなどのサポートも充実し、また自分に合った靴をオーダーすることもできます。
またマドラスは、プロサッカーチーム「名古屋グランパスエイト」のパートナーとして、チームを支えています。
そして2022年には、「マドラス×グランパス・コラボレーションモデル」をリリースしました。
岩田さんの父の会社は、歴史のある素晴らしい会社なのですね。
まとめ
今回は、岩田剛典さんの父・岩田達七さんについて、取り上げてみました。
まとめると、
- 岩田剛典さんの父は有名靴ブランド「マドラス株式会社」の社長だった。
- マドラスは、草履や下駄が主流だった大正時代に、紳士靴を広めた先進的な会社だった。
- マドラスは創業100年以上になる、信頼と実績のある会社だった。
岩田剛典さんは、歴史のある会社のご子息だったのですね。
それにしても、凄い家系でしたね。
岩田剛典さんとその家族の、益々の活躍とご多幸をお祈りしながら、このページを終わりたいと思います。
最後までお付き合い、ありがとうございました。
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