「トリック」、「ごくせん」、「リーガルハイ」など、アクのある演技で数々の話題作に出演してきた生瀬勝久さん。
そんな生瀬勝久さん学歴を、知っていますか?
今回は、生瀬勝久さんの学歴と、大学時代の演劇活動について、迫っていきたいと思います。
最後までお付き合い、よろしくお願いします。
生瀬勝久さんの学歴を調査
生瀬勝久さんの学歴は、どうなっているのでしょうか?
生瀬さんの学歴は以下の通りです。
- 西宮市立春風小学校卒業
- 西宮市立塩瀬中学校卒業
- 兵庫県立宝塚高等学校卒業
- 同志社大学文学部社会学科(現在は社会学部社会学科)卒業
生瀬さんは小学校では児童会長、中学校では生徒会長を務め、本人曰く真面目な生徒だったそうです。
生瀬さんの通った宝塚高校は兵庫県宝塚市にある県立の高校で、宝塚市にある4つの県立高校の中で最も歴史があり、地元の人からは「県宝(けんぽう)」と呼ばれています。
偏差値はみんなの高校情報によると、「47」で、兵庫県の中堅高校という位置づけです。
有名な卒業生には、お笑い芸人の東野幸治さんや、落語家の桂小枝さん、お笑いコンビ「ガクテンソク」 の二人がいます。
宝塚高校時代の生瀬さんはバレー部に所属しながら、勉強に励んでいました。
また宝塚ファミリーランドでジュースを売るアルバイトを、時給350円でしていたと、宝塚市長との対談で話しています。
昭和50年頃は、こんな時給だったのですね。
そして生瀬さんはお好み焼き屋でアルバイトをしながら、一浪して同志社大学に入学しました。
生瀬勝久さんは同志社大学の劇団所属中に他の劇団にスカウトされた?
生瀬勝久さんは同志社大学の劇団所属中に、他の劇団にスカウトされたというのは本当なのでしょうか?
生瀬さんは同志社大学の劇団「第三劇場」に所属していましたが、その実力を買われ、京都大学系の劇団「そとばこまち」の2代目座長を務めていた辰巳琢郎さんにスカウトされ、そのまま劇団「そとばこまち」に入団します。
生瀬さんはまず、大学ではお笑いのサークル「喜劇研究会」に所属していました。
1年生の時にサークルの先輩から、お笑いの表現者としてやっていくために落語や漫才だけでなく、小劇場の演劇を見ておいた方がいいと言われたそうです。
そしてその当時最も勢いのあった”つかこうへい”さんの「蒲田行進曲」を見たとき、物凄いカルチャーショックを受け、演劇にのめり込んでいくことになりました。
生瀬さんは「劇団そとばこまち」の「猿飛佐助」で舞台デビューします。
生瀬さんのデビューは衝撃的で、たくさんの人を魅了しました。
この時の舞台を見ていた俳優の渡辺いっけいさんは、生瀬さんを見て天才がいると思ったそうです。
「とにかく生瀬勝久さんがすごかった。衝撃のデビューだったんですよ。華があって、声がでかくて面白くてひとりで引っかき回して…。
『こんなやつがいるんだ。天才だ』って思ってボーッとしちゃって…」
引用元:TVer
生瀬さんは演劇をしながら、大学を2浪して卒業します。
卒業後は親の知り合いの会社に就職が決まっていた生瀬さんでしたが、いろいろ悩んだ結果、俳優の道を選びます。
「就職すれば上手くやっていく自信があったが、やっぱり芝居が好きだったし、アウトローになりたかった。バブル景気の時代だったのでバイトは沢山あり、バイトしながら好きな芝居をやっていくという人生もあるのかも知れない」と思い、就職はやめて演劇を続けました。
生瀬さんは1988年、「劇団そとばこまち」の4代目座長に就任し、劇作家、演出家も務めています。
生瀬さんは演劇を始めたころから、凄い才能があったのですね。
まとめ
今回は生瀬勝久さんの学歴と、同志社大学在学中に他の劇団にスカウトされたことについて、取り上げてみました。
まとめると、
- 生瀬勝久さんは兵庫県立宝塚高等学校を卒業した後、1浪して同志社大学文学部社会学科に入学した。
- 同志社大学の劇団「第三劇場」に所属していたが、京都大学系の劇団「そとばこまち」にスカウトされる。
- 劇団「そとばこまち」での初舞台「猿飛佐助」の演技は天才的だった。
以上です。
生瀬勝久さんは大学で演劇を始めてすぐに才能が開花し、俳優仲間から天才と言われる程だったのですね。
生瀬勝久さんの益々の活躍とご多幸をお祈りしながら、このページを終わりたいと思います。
最後までお付き合い、ありがとうございました。
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