タレント・女優として活躍中の宮澤エマさん。
彼女の家系図が華麗すぎると、知っていましたか?
今回は、そんな宮澤エマさんの家系について、迫っていきたいと思います。
最後までお付き合い、よろしくお願いします。
宮澤エマの家系図
宮澤エマさんの家系図は以下の通りです。
宮澤エマさんの祖父は、第78代内閣総理大臣の宮澤喜一さんです。
その娘、つまり宮澤エマさんの母親は、トラベルジュエリーのクラブ・サーという会社の代表をしていて、
父親は元アメリカの外交官で、現在はいろいろな仕事をしています。
姉は、アパレル会社を経営し、
宮澤エマさんは、タレント業や女優として活躍中です。
詳しくは、次の家族構成と経歴で説明したいと思います。
宮澤エマの家族構成と経歴
祖父 宮澤喜一
祖父の宮澤喜一さんは、大正8年生まれで、広島県出身でした。
財務大臣(大蔵大臣)、農林水産大臣、郵政大臣、外務大臣、通商産業大臣、内閣官房長官や副大臣も務めていて、
平成3年には第78代内閣総理大臣に就任します。72歳の時でした。
宮澤喜一さんというと、英語が堪能というイメージがありますが、英語は専門的な教育を受けたことはなく、独学だったようです。
日中戦争から第二次世界大戦中には、英語が敵性語とされ、一般には排斥されていましたが、宮澤喜一さんは、手に入る洋書などを片っ端から読んで、英語を身につけていったそうです。
そのおかげで、戦後の占領が始まると、大蔵省の役人として、GHQとの交渉役として活躍しました。
宮澤喜一さんは、旧制中学時代にサッカーをしていたこともあり、サッカー好きとして知られていました。
国内で開催された国際試合は、よく見に行っていたようです。
サッカー・ワールドカップ招致国会議員連盟の議長に就任し、日韓ワールドカップを成功に導きました。
父 クリストファー・J・ラフルアー
宮澤エマさんの父はアメリカ人のクリストファー・J・ラフルアーさんです。
彼の経歴はすごいです。
アメリカのプリンストン大学を卒業し、以下のような職歴があります。
- 199Ⅰ~1993年は、アメリカ国務省ベトナム、ラオス、カンボジア担当オフィスディレクター
- 1993~1997年は、在台湾米国協会・副理事
- 1997~2001年は、在日米国大使館首席公使
- 2001~2003年は、アメリカ国務省 東アジア・太平洋地域担当首席次官補
- 2003~2004は、将来の日米および米韓同盟を協議する米国国務省のチーム座長、ニューヨークの外交問題評議会の外交研究でサイラス・ヴァンス・フェロー
- 2004~2007年は、駐マレーシア米国大使
- 2008~2011年は、JPモルガン証券株式会社副会長、政府関係・企業責任担当
- その後は、在日米国商工会議所(ACCJ)の会長を務めした。
現在の肩書は、以下のようになっています。
- 在日米国商工会議所(ACCJ)特別アドバイザー
- DTCC データ・レポジトリージャパン株式会社会長
- マクラーティ・アソシエイツのシニアディレクター
- ツネイシホールディングス株式会社の社外役員
- 日米協会の副会長
- 日米研究インスティテュート
- 社会起業家のパイオニアであるアショカ・ジャパンの諮問委員会の委員
よくわからない組織名がたくさん出てきましたが、偉い人には間違いなさそうです。
2019年には、日米の交流促進への貢献を評価されて、旭日中褒章が授与されました。
母 ラフルアー宮澤啓子
宮澤エマさんの母親は、ラフルアー宮澤啓子さんです。
啓子さんは、トラベルジュエリーの会社、クラブ・サーの代表をしています。
トラベルジュエリーとは、高価なジュエリーの代わりに、安心して着けられるように考えられたもので、グレードの高い人造石を使ったジュエリーです。
安物というわけではなく、本物のジュエリーやカジュアルなアクセサリーとは違う、”第三の選択”として愛用されています。
つまり、仕事や旅行、スポーツ時に使える、ジュエリーです。
クラブ・サーのホームページはこちらになります。→Travel Jewelry
啓子さんの経歴を紹介します。
慶大法学部、コロンビア大学ビジネススクール(MBA)を卒業し、さらにフランスに留学。
ルフトハンザ・ドイツ航空のスチュワーデスとして国際線に乗務し、その後、外資系化粧品会社の広報・広告ディレクターへと転職します。
結婚後は、夫の転勤と共に転職を重ね、1992年に有限会社クラブ・サーを設立しました。
執筆活動もしていて、幻冬舎から、「セレブに学ぶ幸せの『マナー』入門」という本も出版しています。
夫婦ともに、凄い経歴ですね!
姉 ラフルアー宮澤沙羅
姉のラフルアー宮澤沙羅さんの経歴もすごいです。
ハーバード大学卒業し、不動産投資会社や、ベイン&カンパニーでマネジメントコンサルタントとして勤務しました。
そして、2013年には、アパレル企業「エム・エム・ラフルアー」をニューヨークで設立しました。
サイトはこちらになります。→M.M.LAFLEUR
「エム・エム・ラフルアー」は、オフィスで働く女性のためのブランドを目指して、作られた会社です。
以下、引用になります。
MMの創業前、当時金融機関に務めていた宮澤さんが、着心地がよく、しかし金融業界で求められる水準のフォーマルさがある服がほしいと感じていたところ、中村さんがデザインの力で宮澤さんの課題を解決したというのがMMの創業に至ったエピソードです。
引用元:COOL JAPAN FUND
こうやって見てみると、凄い家族ですね!ビックリしました。
まとめ
今回は、宮澤エマさんの家族について取り上げてみました。
まとめると、
- 宮澤エマさんの祖父は、第78代内閣総理大臣の宮澤喜一さんだった。
- 父は、元アメリカ外交官で、現在も多数の会社の役員を務めている。
- 母や姉は、それぞれの会社を設立し、経営している。
以上です。皆さん凄すぎる経歴でしたね!
宮澤家の益々の活躍をお祈りしながら、このページを終わりたいと思います。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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