「世界の果てまでイッテQ!」など、テレビタレントして大活躍のいとうあさこさん。
そんな”いとう”さんは、お嬢様学校の出身だと知っていましたか?
今回は、いとうあさこさんの学歴と学校生活について、迫っていきたいと思います。
最後までお付き合い、よろしくお願いします。
いとうあさこさんの学歴
いとうあさこさんの学歴は、どのようになっているのでしょうか?
いとうあさこさんは小学校から12年間、雙葉学園に通っていました。
あさこさんの父親である伊藤新造さんは東京大学出身で、富士銀行常務取締役を経て、芙蓉総合リース、富士総合研究所社長を務めた方であり、母親は早稲田大学出身の資産家の娘でした。
両親がこのように高学歴で、裕福な家庭に生まれたあさこさんは、お嬢様学校に進学するのは、当然の成り行きだったのかもしれません。
雙葉学園は、雙葉小学校と中高一貫教育の雙葉中学校・高等学校を運営しています。
「雙葉学園」は「桜蔭」「女子学院」ともに、女子の中高一貫校の中で、女子御三家と言われているお嬢様学校です。
雙葉学園中学校・高等学校は、東京都千代田区六番町にある女子高で、カトリック系の学校のため、週に1回宗教の時間があります。
また、フランスにあるサンモール修道会の修道女によって設立された学校なので、フランス語教育を行っているのが特徴的です。
雙葉学園は先取り教育を行っていて、中学3年生の2学期からは高校課程の学習項目を勉強し始めます。
偏差値は、みんなの中学情報によると、「67」となっていました。
あさこさんの通った学校は、有名なお嬢様学校だったのですね。
いとうあさこさんの学校生活
いとうあさこさんの学校生活は、どのような感じだったのでしょうか?
あさこさんはクラスの人気者で、盛り上げ役のムードメーカーだったそうです。
部活は陸上同好会に入りました。理由はユニフォームのトレーナーがかわいかったからだそうです。
あさこさんは近藤真彦さんの大ファンで、透明な下敷きにアイドル雑誌の切り抜きを挟んでは眺めたりして、自由に学園生活を楽しんでいました。
あさこさんは保健体育の知識が全くなく、結婚指はをすると子供が生まれると思っていたそうです。
この話は日テレ「誰だって波瀾爆笑」に出演していた時に話していて、あさこさんが想像していた結婚指はとはダイヤル式になっていて、ダイヤルを「2」にすると子供が2人できると、高校3年生になっても信じていたようです。
誰からそんな話、教わったのでしょうね。
宇宙物理学者を目指していたあさこさんでしたが、父親から文系大学の進学を薦められて、大学受験に失敗してしまいます。
落ち込んでいたところに”尾崎豊”の曲が、あさこさんの心に浸みこみます。
「大人の言うとおりに動かない」というメッセージが、遅い反抗期のきっかけとなり、あさこさんは19歳にして家出をしました。
家出後はアルバイトで、朝6時から夜10時まで馬車馬のように働き、月に60万円も稼いだそうです。
その頃アルバイト先で彼氏ができたのですが、その男は働きもせずに車を買ったするような人で、あさこさんはこの借金を肩代わりし、働いた分は無くなりました。
トータルで1000万円以上は貢いだと話しています。
こんなことがあって、あさこさんは大学にな進学しなかったのですね。
22歳なると、ミュージカルの専門学校である、舞台芸術学院のステージアーチスト科・夜間部に入学しました。
舞台芸術学院のホームページはコチラ→https://www.bugei.ac.jp/
しかし、あさこさんがやりたかったのは喜劇だったので、学校に通いながらお笑いのオーディションを受けていたそうです。
専門学校同期生の佐藤千亜紀さんと、お笑いコンビ「ネギねこ調査隊」を組んで、主にコントをしていました。
このコンビは2003年に解散し、ピン芸人になったあさこさんは、後にレオタード姿の浅倉南のネタでブレイクしていきます。
あさこさんのブレイクは、遅めでしたね。
まとめ
今回は、いとうあさこさんの学歴や学校生活について、取り上げてみました。
まとめると、
- あさこさんは、小学校から有名なお嬢様学校である、雙葉学園に通っていた。
- 大学受験に失敗したあさこさんに遅い反抗期が来て、19歳の時に家出をした。
- 家出をしていた時期はアルバイトで馬車馬のように働き、月60万円も稼いでいた。
以上です。
あさこさんはお嬢様学校出身なのに、波乱万丈の人生でしたね。
いとうあさこさんの益々の活躍とご多幸をお祈りしながら、このページを終わりたいと思います。
最後までお付き合い、ありがとうございました。
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